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2020-11-18

江戸の雰囲気

僕が義足になる少し前、2018年の夏だったと思う。朝、東京駅の地下道を京橋に向かって歩いていた。向こうから、もうかなりの歳だと思われるご老体がゆっくりと歩いてくる。すれ違いざま、そのご老体が明るい声で「お久しぶりです」と声をかけてきた。その人にまったく心当たりはない。思わず「はい?」と声を出してしまう。

「鈴木です、電気屋の」と言って、ご老体が人差し指で自分の鼻先を指した。TV ドラマで見る、そのままの動きだ。僕が「お間違えだと思いますよ」と言うと、そんな筈は、という様子で「うーん。...そうですか?」と言う。その表情がとても悲しそうだった。

「でも、声を掛けてくださって有難うございます。お気を付けて」と言ってご老体と別れた。そのご老体の発する言葉が、まるで時代劇で見る江戸っ子のような調子で、何だかとても楽しい気分になった。暫くの間、その気分を味わっていた。

あれが "江戸言葉" とか "東京方言" と呼ばれるものだろうか? ほんの短い会話だったが、実に貴重な体験だった。

2020-09-25

歌詞が気になる

外国語の歌 ("洋楽" に限らず) を聴くとき、どんな歌詞なのかがとても気になる。楽曲が気に入れば取り敢えず好んで聴き始めるのだが、その後も歌詞の意味を知るために、あれこれと手間をかけることになる。大まかにでも、歌の内容が知りたい。歌詞の意味が判って、もしそれが受け入れられなければ、その歌は聴かなくなる。

そうなるに至ったきっかけは、中学生の頃に友人宅で "のっぽのサリー" (Long Tall Sally) の訳詞を見たことだ。ビートルズのシングル盤だった (僕はビートルズの現役世代ではないが、とにかく友人がそのシングル盤を持っていた)。"のっぽのサリー" は単純に楽しめばよい歌で、神経質になる必要はまったくない。それでも、こんな歌詞だったのか、と、友人と二人で苦笑いした。

だいぶ後になってからだが、他にもこんな事があった。大学時代、帰国子女の同級生と二人、駅のプラットフォームで電車を待っていた。僕らの 3m くらい前に同世代と思われる男性がスタジアム・ジャケットを着て立っていた。スタジアム・ジャケットの背中には、ひとつの単語だけが外国語で大きく刺繍されていたのだが、同級生がこっそりそれを指して「あれ、ロシア語で "ファシズム" って書いてある」と小声で言った。「あれは外国じゃ着れないね」と。この事も、多少影響していると思う。

そんなこんなで、外国語の歌を聴く時は歌詞を気にするようになった。もっとも、歌詞に限らず、日頃見聞きする外国語の意味には注意を払うべきなのだが。

2020-08-21

レクリエーション形式のリハビリ



時々、頭を過ることがある。そう遠くない将来、加齢とともに更に体力が落ちて、リハビリを必要とする状況になるだろう。デイケアなども含めてだ。その時、レクリエーション形式や、「音楽に合わせて~する」といったリハビリを、果たして自分が素直に受け入れられるか? ということ。

今のところ、自分としてはすんなり受け入れることはできないと思っているのだが、これには母方の祖母のことが強く影響している。祖母はそのようなリハビリを嫌っていた。施設側では、通所者の体力維持のために様々な取り組みを行うわけだが、祖母は居心地が悪いようだった。一人の大人として扱われていない、というか、子供扱いされていると感じていたようだ。

近親者以外でも、「家族が通所から帰って来る度に悲しそうな顔をする」という類の話しを何度か耳にしたことがある。「リハビリにも "楽しむ" という要素を」ということなのだろうが、それが利用者に合わないと悲惨なことになる。利用者本人が不満でも、家族としては施設に通ってもらないと困る、という事情がある。施設側としては、利用者を一括りに扱った方が負担を減らすことができる。となれば、利用者本人が「多少の事は我慢して施設に通ってよ」という状況に置かれることは容易に想像できる。

僕は、そこに恐ろしさを感じる。

2020-06-08

石の話し

僕は普段、こういうことを口にしないようにしている。僕は、所謂 "パワーストーン" などを身に着けたりする習慣はない。その分野の人でもないし、何よりそんなガラでもない。だが、つい先ほど、偶々 "パワーストーン" という言葉を目にして、なぜだか書いておきたい気持ちになった。貴石に限らず、石全般の話しとして読んでいただきたい。

石は、身に着けていたり、身の回りに置いていたりすると日々状態が変わる。具体的には色や温度だ。明るくなったり暗くなったり、熱くなったり冷たくなったりする。特に色の変化は、石に触る必要もないのですぐに分かる。温度については、例えば、部屋のある場所に同じ種類の石を幾つか飾っていたとして、その中のひとつの石だけが熱い、冷たいということだ。だが、石の持ち主にそのことを伝えて納得してもらえた試しがない。

ひょっとしたら、色や温度以外にも何かあるのかも知れない。例えば、昨日と今日で重さの感じ方が変わったりするのかも知れない。

残念ながら、僕は石の色や温度の変化が何を示しているのか分からない。ただ、何か意味があるのだろうと思っている。だから、身に着けていたり、身の回りに置いていたりする人に言いたいのだ。よく注意して石を見たり触ったりしていると、何か面白い体験ができるかも知れませんよ、と。

2020-05-31

近所付き合い

義足でも絶対に自転車には乗りたい! と、リハビリ中は... 髪を切ってもらう以外でも、馴染みの理容室には時々寄る。お互いにちょっとした物をお裾分けしたりする間柄だ。思い返してみると、僕には、田舎を離れてからずっと近所付き合いがあった。仕事の事情で1年間横浜市で寮住まいをしていたことがあるが、その時期を除いてずっとだ。 田舎を離れて最初に住むことになったのは築30年という古いアパートで、兄との同居だった。そこから僕の近所付き合いが始まった。隣の部屋に住んでいた老夫婦だ。今考えると不思議だが、よく気軽に部屋に入れてくれたものだ。今住んでいる家でもそうだ。向かって右隣は老夫婦と息子の二人暮らし、左隣は私よりひと回り少々年上の男性の独り暮らしだったが、どちらの家にも上げてもらったことがある。そのうち、右隣の家では息子さんが先に亡くなってしまい、老女の独り暮らしになったが、つい最近家を売って養老施設に移ってしまった。その家を買った人はすぐに売りに出したが、COVID-19 の影響もあり、まだ売れていない。右隣りの男性は、それより早く家を売って引っ越していった。こちらの家はすぐに買い手が付いた。今ではその場所に新築の家が建ち。若い夫婦と子供達が住んでいる。 さて、今日その馴染みの理容室に顔を出したら、来月いっぱいで廃業するとのこと。本当に寂しくなる。その理容室は、所謂「町の床屋さん」という感じだ。僕は子供の頃からそのような店が好きで、「美容院」に行ったことは一度もない。本当に名残惜しい。なるべく早いうちに、もう一度髪を切ってもらおう。 理容室は50年続けたそうで、ご主人は今年で79歳になる。COVID-19 の影響もあったそうだが、来月は店舗兼住宅の賃貸契約の更新月なのだそうだ。貸主とも長い付き合いになるわけだ。当初は5年毎の契約更新であったものが、貸主も息子の代になって2年毎の契約に変更されたとのこと。商売をやっていて、店舗の契約更新が2年毎というのは負担が大きい。客も少なくなってきたところで無理に契約を更新しても、また2年後、81歳を迎える頃にはま約更新となる。50年やってきたし、今が潮時だと思ったのだそうだ。 僕がお邪魔した時、既に今後の住まいの連絡先を書いたメモを用意してあった。ずっと以前に購入しておいたマンションに戻るのだそうだ。幸い、バスを乗り継いで行ける場所だ。そのうち顔を出すとしよう。ご主人は出張して髪を切ってあげる、と言ってくれた。泊まり掛けで遊びにおいで、とも。 いつまでも、この縁が切れないようにしたい。

2020-05-25

死にかかっていた時

朝一番で病院に検査結果を確認しに行かなくてはならないのに、朝起きたら体が動かない。前日も定時まで時間を潰した後、職場ロッカーの陰で伏せっていた。自宅に帰るタクシーの中でも。ギリギリの時間まで粘ってバス停向かう。しかし、まともに歩けない。顔が上げられない。終点の最寄り駅に到着したら、今度はバスから降りられない。どうにかバスを降りたらそこから動けない。ガードレールに摑まってかろうじて立っている。意を決して歩き出す。ここから3軒目の小さなビル、20m くらい歩けば病院だ。下を向いたまま歩く。時々、顔を少し上げて今いる場所を確認する。

胃カメラの結果は問題ないが、血液検査では白血球数が危険な域に達しているとのこと (確か23,000程度)。そうか、胃癌じゃなかったんだな。「病院の外来に歩いて来れる人がこんな数値ってことは普通はないですよ」と。総合病院を探してもらう。タクシー乗り場は目と鼻の先です、一旦家に戻ったりせず病院に直行しなさいと言われる。緊急入院だそうです、と職場に連絡を入れる。

総合病院に到着して30~40分ほど待ったか。足が痛いそうですね、傷はありますか? と訊かれる。いいえ、ありません。今靴下履いてないんで、靴を脱げばすぐ分かりますよ。靴を脱ぐと、左足の小指の壊死が始まっていた。出掛け際に靴を履いたときは何ともなかったのだが。レントゲン写真が仕上がった時点で、左足を残すのは無理だと言われた。そんなこと言われたって、長いこと私の体を支えてくれた足だから名残惜しいですよ、と答える。このとき、整形外科の医師は「この患者は意識レベルが低下している」と思ったのだそうだ。ご自分では判断できないと思いますので、ご家族にご連絡を、と言われるが、判断できるのは私だけだと答える。まあ、そもそも独り暮らしだし、親兄弟も親戚も駆け付けて来れるほど近場には住んでいない。

敗血症で臓器不全を起こしていた。それまで普段通りの (少々強気な) 物言いをしていたが、集中治療に入って機械に繋がれた後は意識が無くなった。時折意識が戻っても目が開かない。凄まじい耳鳴りがする。その向こう、ずっと遠くで「血圧、上が50しかありません。」という看護師の声が聞こえる。

よく聞く臨死体験などはなかった。暗いトンネルを抜けて眩しい光に包まれたり、花畑の上を飛んだり、川辺に立って向こう岸に渡ろうとしたり、病室の天井から自分を見下ろしていたり。ただ、妙な幻覚を何度も見た。女性の看護師が来て、ベッドの柵に組んだ両腕を載せてもたれ掛かり、「魘されるタイプ?」と訊いてくるとか。どこかのバス停にいて、初老の女性が時刻表を指して懸命に何か尋ねてくるが、口だけ動いていて声は聞こえないとか。その時の自分にとって、それらは現実に起こっている事なのだが、そんな筈はないだろう、会話してはいけない、話しを聞こうとしちゃダメだ、という考えも浮かんで (声が聞こえるのではなく、思考が2つあるような感覚)、必死でその光景を頭から追い払う。

集中治療室から雑居病室に移り、「臨死体験しなかったってことは、まだ死ねないってことだな」と思う。会話は普通にできるのだが、3、4日の間、夜は居心地の悪い夢、同じ夢を何度も見て辛かった。ひとつは、目の前でプログラムソースがずっとスクロールしていて、若干の不安を感じながら処理の流れを追っている、というもの。もうひとつは、自分が海洋サルベージ会社の社員で、「あの船をどうやって引き上げようか?」と悩んでいる、というもの。時々目が覚めても、また眠ると夢が続いていたり、同じ夢を繰り返し見たりする。朝の気分は本当に最悪だった。

居心地の悪い夢を見ないまま目覚めた朝、前日までとはまったく違う感覚。喩えて言うと、外れていたピントが合ったような、二重にブレていたのが解消して輪郭がはっきりしたような。死にかかっている時って、精神状態も普通じゃないんだなあ。メータの針が「生」の方に振れたんだろうか、などと考えていた。

2020-04-10

言い争いになったが...。

→ 今し方、後ろから追い抜きざまに障害者を揶揄する...

その男が去った後も、暫く交番で過ごしてからの帰宅を提案された。地元での出来事ということもあり、再び顔を合わせてトラブルになるようなことを避けるためだ (或いは、交番から離れた場所でその男が待ち伏せしていることも想定していたのかも知れない)。留まることなく一旦自宅に戻り、2時間半ほど経ったが、念のため当の交番を訪ねて幾つかアドバイスを求めた。そこで、警官というのは実に詳細に事の一部始終を見ているということが分かって大変驚いた。道端で言い争いになってしまったのは残念だが、大変貴重な経験だった。

その男と僕は引き離されて、男の方はすぐに開放された。警官が来てから、男の声はより大きくなった。その場を離れながら時々怒鳴り、角を曲って姿が見えなくなった後も怒鳴り声が聞こえていた。何とはなく、目の前に交番があるからあの男は絡んできたような気がする、と言うと、警官は「そうだ」という。警官の方をチラチラ見ながら「お巡りさん早く来てよ」と視線で訴えていたのだそうだ。加えて、言い争いになる前からその男は挙動がおかしかったのだという。これには本当に驚いた。警官というのは、やはり交番の前でただ立っているわけではないのだ。ちゃんと周囲の状況に目を配っているのだと知った。そういえば、それでは警察に行きましょうかと交番の方に振り返った時、3人の警官は既にこちらに向かって歩き出していた。他にもその時の様子をあれこれと思い出して感服した次第だ。

2020-03-12

新宿三丁目の寿司屋にて

午後3時頃、新宿三丁目の寿司屋に入った。最後に寄ったのはもう三年以上前だ。以前は新宿三丁目が勤務地だったのだ。入店してみると、客は僕一人だった。カウンター席、板前さん、板長さんだと思うが...、の正面に座る。懐かしい顔だ。この店にはよくお邪魔していたのだが、他の客の手前もあり、当時は店の人とそんなに言葉を交わさなかった。

寿司に箸をつける段になって、板前さんがひと言、久しぶりですね、と言った。僕は驚いて、自分を覚えているのかと聞き返した。そりゃあ忘れませんよ、と、さも当然といった答え。僕が義足をまだ履いていなかったことも覚えていて、入店したときから気になっていたのだという。僕は感心して、そしてとても嬉しくなった。

その後からは、その板前さんと色々話しをした。店が35年も続いていて、新宿という街の移り変わりを見てきたこと。僕は、最近命を落としかけ、それがもとで義足になったことを話した。僕が店にいる間に他の客は来なかったので、ただ寿司と会話を楽しんで、よい気分のまま店を出た。

僕は余韻を味わいつつ家路についた。日々の暮らしの中での人との触れ合いが、僕の心を和ませるのだ。

2020-03-09

気軽に話題にしてほしい

障害は悪いことじゃないのに。「なぜ言ってはダメ?」友達への障害告知で悩む息子に伝えたこと【LITALICO発達ナビ】

僕は普段ジーンズを履いている。細身のストレートで、下腿義足になる前から愛用しているものだ。ジーンズを履くときは、義足側の裾を膝頭まで捲り上げている。ソケットを丸ごと見せる体裁なわけだ。ソケットが太く、裾を下げたままだと突っ張って歩き辛い、というのがその理由だ。ソケットの脹脛や、上部の広がった部分はジーンズの上からでもはっきり分かる。頑張って裾を下げたまま歩いていると、ジーンズがずり下がってくる。が、このジーンズはお気に入りで、履き心地はとても良く、愛着もあるので捨てる気はない。

さて、僕は道端で義足を履き直す羽目になったことがある。脛が痛くて歩けなかったのだ。無事に義足を履き直した後、お茶を飲んで一息つくために店に寄った。ご夫婦で切り盛りしている店だ。席に着いて痛んだ脛をソケットの上から擦っていると、お店の奥様が「自分の足のように擦っているけど、触っている感覚はあるの?」と聞いてきた。「ありません。ただ治まってくれと願って擦っています。」と答える。そのやり取りがなんだか可笑しかった。他にも「どうしてジーンズの裾を捲っているの?」と聞かれたが、そこに「障害者アピールしてるの?」という雰囲気はなく、単に「ちょっと聞いてみた」という感じで、その後も経営者のご夫婦や隣席の客と楽しく話して店を出た。

僕は、障害のことや義足のことは気軽に話題にしてほしい。障害の種類や程度にもよるので誰にでも言えることではないが、僕自身はそう思っている。もちろん、差別されたり揶揄されたりするのは真っ平御免だ。また、その人や、その人の家族から障害のことに触れてほしくないという雰囲気を感じたら、その時はそっとしておいてほしい。