ページ

2020-05-31

近所付き合い

義足でも絶対に自転車には乗りたい! と、リハビリ中は... 髪を切ってもらう以外でも、馴染みの理容室には時々寄る。お互いにちょっとした物をお裾分けしたりする間柄だ。思い返してみると、僕には、田舎を離れてからずっと近所付き合いがあった。仕事の事情で1年間横浜市で寮住まいをしていたことがあるが、その時期を除いてずっとだ。 田舎を離れて最初に住むことになったのは築30年という古いアパートで、兄との同居だった。そこから僕の近所付き合いが始まった。隣の部屋に住んでいた老夫婦だ。今考えると不思議だが、よく気軽に部屋に入れてくれたものだ。今住んでいる家でもそうだ。向かって右隣は老夫婦と息子の二人暮らし、左隣は私よりひと回り少々年上の男性の独り暮らしだったが、どちらの家にも上げてもらったことがある。そのうち、右隣の家では息子さんが先に亡くなってしまい、老女の独り暮らしになったが、つい最近家を売って養老施設に移ってしまった。その家を買った人はすぐに売りに出したが、COVID-19 の影響もあり、まだ売れていない。右隣りの男性は、それより早く家を売って引っ越していった。こちらの家はすぐに買い手が付いた。今ではその場所に新築の家が建ち。若い夫婦と子供達が住んでいる。 さて、今日その馴染みの理容室に顔を出したら、来月いっぱいで廃業するとのこと。本当に寂しくなる。その理容室は、所謂「町の床屋さん」という感じだ。僕は子供の頃からそのような店が好きで、「美容院」に行ったことは一度もない。本当に名残惜しい。なるべく早いうちに、もう一度髪を切ってもらおう。 理容室は50年続けたそうで、ご主人は今年で79歳になる。COVID-19 の影響もあったそうだが、来月は店舗兼住宅の賃貸契約の更新月なのだそうだ。貸主とも長い付き合いになるわけだ。当初は5年毎の契約更新であったものが、貸主も息子の代になって2年毎の契約に変更されたとのこと。商売をやっていて、店舗の契約更新が2年毎というのは負担が大きい。客も少なくなってきたところで無理に契約を更新しても、また2年後、81歳を迎える頃にはま約更新となる。50年やってきたし、今が潮時だと思ったのだそうだ。 僕がお邪魔した時、既に今後の住まいの連絡先を書いたメモを用意してあった。ずっと以前に購入しておいたマンションに戻るのだそうだ。幸い、バスを乗り継いで行ける場所だ。そのうち顔を出すとしよう。ご主人は出張して髪を切ってあげる、と言ってくれた。泊まり掛けで遊びにおいで、とも。 いつまでも、この縁が切れないようにしたい。

2020-05-25

死にかかっていた時

朝一番で病院に検査結果を確認しに行かなくてはならないのに、朝起きたら体が動かない。前日も定時まで時間を潰した後、職場ロッカーの陰で伏せっていた。自宅に帰るタクシーの中でも。ギリギリの時間まで粘ってバス停向かう。しかし、まともに歩けない。顔が上げられない。終点の最寄り駅に到着したら、今度はバスから降りられない。どうにかバスを降りたらそこから動けない。ガードレールに摑まってかろうじて立っている。意を決して歩き出す。ここから3軒目の小さなビル、20m くらい歩けば病院だ。下を向いたまま歩く。時々、顔を少し上げて今いる場所を確認する。

胃カメラの結果は問題ないが、血液検査では白血球数が危険な域に達しているとのこと (確か23,000程度)。そうか、胃癌じゃなかったんだな。「病院の外来に歩いて来れる人がこんな数値ってことは普通はないですよ」と。総合病院を探してもらう。タクシー乗り場は目と鼻の先です、一旦家に戻ったりせず病院に直行しなさいと言われる。緊急入院だそうです、と職場に連絡を入れる。

総合病院に到着して30~40分ほど待ったか。足が痛いそうですね、傷はありますか? と訊かれる。いいえ、ありません。今靴下履いてないんで、靴を脱げばすぐ分かりますよ。靴を脱ぐと、左足の小指の壊死が始まっていた。出掛け際に靴を履いたときは何ともなかったのだが。レントゲン写真が仕上がった時点で、左足を残すのは無理だと言われた。そんなこと言われたって、長いこと私の体を支えてくれた足だから名残惜しいですよ、と答える。このとき、整形外科の医師は「この患者は意識レベルが低下している」と思ったのだそうだ。ご自分では判断できないと思いますので、ご家族にご連絡を、と言われるが、判断できるのは私だけだと答える。まあ、そもそも独り暮らしだし、親兄弟も親戚も駆け付けて来れるほど近場には住んでいない。

敗血症で臓器不全を起こしていた。それまで普段通りの (少々強気な) 物言いをしていたが、集中治療に入って機械に繋がれた後は意識が無くなった。時折意識が戻っても目が開かない。凄まじい耳鳴りがする。その向こう、ずっと遠くで「血圧、上が50しかありません。」という看護師の声が聞こえる。

よく聞く臨死体験などはなかった。暗いトンネルを抜けて眩しい光に包まれたり、花畑の上を飛んだり、川辺に立って向こう岸に渡ろうとしたり、病室の天井から自分を見下ろしていたり。ただ、妙な幻覚を何度も見た。女性の看護師が来て、ベッドの柵に組んだ両腕を載せてもたれ掛かり、「魘されるタイプ?」と訊いてくるとか。どこかのバス停にいて、初老の女性が時刻表を指して懸命に何か尋ねてくるが、口だけ動いていて声は聞こえないとか。その時の自分にとって、それらは現実に起こっている事なのだが、そんな筈はないだろう、会話してはいけない、話しを聞こうとしちゃダメだ、という考えも浮かんで (声が聞こえるのではなく、思考が2つあるような感覚)、必死でその光景を頭から追い払う。

集中治療室から雑居病室に移り、「臨死体験しなかったってことは、まだ死ねないってことだな」と思う。会話は普通にできるのだが、3、4日の間、夜は居心地の悪い夢、同じ夢を何度も見て辛かった。ひとつは、目の前でプログラムソースがずっとスクロールしていて、若干の不安を感じながら処理の流れを追っている、というもの。もうひとつは、自分が海洋サルベージ会社の社員で、「あの船をどうやって引き上げようか?」と悩んでいる、というもの。時々目が覚めても、また眠ると夢が続いていたり、同じ夢を繰り返し見たりする。朝の気分は本当に最悪だった。

居心地の悪い夢を見ないまま目覚めた朝、前日までとはまったく違う感覚。喩えて言うと、外れていたピントが合ったような、二重にブレていたのが解消して輪郭がはっきりしたような。死にかかっている時って、精神状態も普通じゃないんだなあ。メータの針が「生」の方に振れたんだろうか、などと考えていた。

2020-04-10

言い争いになったが...。

→ 今し方、後ろから追い抜きざまに障害者を揶揄する...

その男が去った後も、暫く交番で過ごしてからの帰宅を提案された。地元での出来事ということもあり、再び顔を合わせてトラブルになるようなことを避けるためだ (或いは、交番から離れた場所でその男が待ち伏せしていることも想定していたのかも知れない)。留まることなく一旦自宅に戻り、2時間半ほど経ったが、念のため当の交番を訪ねて幾つかアドバイスを求めた。そこで、警官というのは実に詳細に事の一部始終を見ているということが分かって大変驚いた。道端で言い争いになってしまったのは残念だが、大変貴重な経験だった。

その男と僕は引き離されて、男の方はすぐに開放された。警官が来てから、男の声はより大きくなった。その場を離れながら時々怒鳴り、角を曲って姿が見えなくなった後も怒鳴り声が聞こえていた。何とはなく、目の前に交番があるからあの男は絡んできたような気がする、と言うと、警官は「そうだ」という。警官の方をチラチラ見ながら「お巡りさん早く来てよ」と視線で訴えていたのだそうだ。加えて、言い争いになる前からその男は挙動がおかしかったのだという。これには本当に驚いた。警官というのは、やはり交番の前でただ立っているわけではないのだ。ちゃんと周囲の状況に目を配っているのだと知った。そういえば、それでは警察に行きましょうかと交番の方に振り返った時、3人の警官は既にこちらに向かって歩き出していた。他にもその時の様子をあれこれと思い出して感服した次第だ。

2020-03-12

新宿三丁目の寿司屋にて

午後3時頃、新宿三丁目の寿司屋に入った。最後に寄ったのはもう三年以上前だ。以前は新宿三丁目が勤務地だったのだ。入店してみると、客は僕一人だった。カウンター席、板前さん、板長さんだと思うが...、の正面に座る。懐かしい顔だ。この店にはよくお邪魔していたのだが、他の客の手前もあり、当時は店の人とそんなに言葉を交わさなかった。

寿司に箸をつける段になって、板前さんがひと言、久しぶりですね、と言った。僕は驚いて、自分を覚えているのかと聞き返した。そりゃあ忘れませんよ、と、さも当然といった答え。僕が義足をまだ履いていなかったことも覚えていて、入店したときから気になっていたのだという。僕は感心して、そしてとても嬉しくなった。

その後からは、その板前さんと色々話しをした。店が35年も続いていて、新宿という街の移り変わりを見てきたこと。僕は、最近命を落としかけ、それがもとで義足になったことを話した。僕が店にいる間に他の客は来なかったので、ただ寿司と会話を楽しんで、よい気分のまま店を出た。

僕は余韻を味わいつつ家路についた。日々の暮らしの中での人との触れ合いが、僕の心を和ませるのだ。