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2022-05-09

「身命を賭す」とは?

沖縄県名護市辺野古、新基地建設断念などを求めるハンガーストライキの記事を目にした。「岸田文雄首相が要求事項の受け入れを表明するか、ドクターストップがかかるまで続ける」のだそうだ。軽薄極まりない。
さて、あなたに命を捨てる意志があるとする。主張を世に知らしめる、抗議の意思を示す、場合によっては後世に語り継がれる、という点においては、「身命を賭す」という選択肢もあるだろう。しかし社会においては、それで明確な成果が得られるか否かが重要だ。命を賭けずに物事を実現できる者がいれば、評価されるのはそちらの方だ。
迂闊な事は言わず、更に戦略を練るべきだ。「進退を賭ける」も同様である。

2022-05-06

「再現できる」ということ

Blogger の更新通知を Twitter に送信する方法について、その手順を改めて確認した。Blogger および Twitter のアカウントを作成し、Google FeedBurner でフィードを作成し、"dlvr.it" のサービスを利用してフィードと Twitter を関連付ける。それに伴い、Blogger のデザインも現在利用中の別のアカウントと同じになるよう設定した。今回それらの手順を確認して、「再現できる」ということの重要性を痛感した。IT やコンピューティングの分野では特にそうだろうが、どんな分野でも「再現できる」ということは重要だ。例えば料理をするにしても、「あの味は二度と再現できない」というのでは悔しく思われるだろう。そんな事から、物事の "標準化" は軽視できないという事を実感した。"標準化" によって、成果物が一定の基準をクリアしている事が担保されるのだから。

2021-12-31

"夫婦別姓" について

僕にとって、"夫婦別姓" の問題は他人事だ。だからどうでもよい。「どうでもよい」ので、「特に反対する理由はない」。僕は独身だが、当然結婚によって自分の姓が変わる事になっても何の不満もない。

しかし、自分にとって「どうでもよい」とはいえ、社会において考慮すべき事はある。姓が変わる事によって、ある人の業績、ビジネスでも、学術研究でも、...が霞んでしまうことは避けるべきであると考える。専門分野でのその人の知名度を軽く考えてはいけない。

そうると、僕はどちらかというと "賛成" (認めるべき) 寄りなのだろう。

また、親と子で姓が異なる場合が生じるという事については、何ら問題を感じない。「子供がかわいそう」との意見もあるようだが、一体何が「かわいそう」なのか? それは、単に社会の認識や慣れの問題だ。「子供がかわいそう」という声がある事に、現在の社会の息苦しさを感じざるを得ない。

一方、夫婦別姓を認める場合に最も重要な事は、「個人を特定できること」だ。所謂 "トレーサビリティ" である。戸籍、税金、年金、医療などの履歴が、その人と正しく結びついていなければならない。強いて言えば、犯罪歴も同様だ。

「夫婦別姓を認めるか否か」は大きな課題だが、「認める事により生じる変化を、社会システムに正しく対応させる事」が重要であると考える。