2021-12-18
2021-12-07
2021-11-30
2021-11-22
2021-09-05
馴染みの店で話し込む
ある週の火曜日、昼時によく行く飲食店に寄った。食事していると、後から高齢の男性が入って来た。その男性と顔が合うのは 2度目で、東京都内の坂 ("建部坂"、"紺屋坂" など名前が付いている坂) を訪ね歩いている。写真を撮ったり、その坂の逸話を纏めたりしている。最初に会った時にそれらを収めたファイルを見せてもらったが、手書きの地図などもあり大変素晴らしいものだった。その日は他の常連客もおらず、店のご主人も交えてずっと話し込んでいた。以前はタウン情報誌の編集長だったとのことで、実に話題豊富な人だった。また面白い話しを聞かせて頂きたい。
その週の土曜日、同じ店で二人の若者と初顔合わせ。そのうち一人は今年 5月頃からその店に通い始めたという男性で、建築用塗料の会社に勤めているらしい。本社は愛知県で、地元で就職したのだが、配属先が東京だったとのこと。話しが弾む中で、その男性は自分の父は大工だと言った。お父さんの技術はもう引き継いであるか、と訊いたら、「いやあ、...嫌い (な仕事) だった筈なんですけどね。血は争えないですね」と笑った。
もう一人はバリスタの学校に通っているという女性。新潟から出て来たそうだ。なんでも学校ではカクテルの授業もあるそうで、この人が店に伝授したカクテルを何度か飲んだことがある。ビールを使ったカクテルで、とても美味しかった。バリスタの資格試験にはめでたく合格したそうだ。その女性とは、コーヒーとその周辺の話し、...焙煎の好みやエスプレッソマシンの話しや、将来店を開くならどんな店にしたいか、といった事を話した。なんでも "カフェ" ではなく、昔ながらの "喫茶店" が好きなのだという。それでも、今風のコーヒーの供し方も好きだと。喫茶店のスタイルに現在学んでいる事も取り入れて、いずれ新潟で個性的な店を開いてほしい。
僕は元々、飲食店へは深夜から出掛けて行くのが好きだ。一人であれこれと考えながら明け方まで過ごす。しかし、昼飯時の飲食店も様々な出会いがあってなかなかいいものだ。
2021-07-15
病院の怪談
高校時代、体育の授業中に右の鎖骨を折ってしまい、入院することになった。手術が立て込んでいたせいで、僕は自分の出術日まで、右腕を胸元に固定されたまま10日間ほど過ごすことになった。入院当初は激痛に苦しめられたが、数日するとだんだん慣れて来た。慣れてくると暇を持て余すようになる。ある日の夕食後、暇を潰すために病院の中を探検していた。エレベーターに乗って適当にボタンを押す。
エレベーターの扉が開くと、その病棟には灯りがない。自分は探検している気分だ。エレベーターを降りて歩き出した。
その病棟は本当に真っ暗だった。しかし、完全に陽が落ちていなかったし、消火栓の赤い光と、非常口への誘導灯の緑色の灯りを頼りに歩くことができた。病室のドアはどれも閉まっていて、患者の名前もない。ナースステーションも稼働していない。稼働していないナースステーションは不気味だった。廊下には埃が綿になって溜まっている。この病棟は使われていないのだと思った。
ふと気付くと、ピッ、ピッ、ピッ、という機械音が規則正しく鳴っている。音のする方に向かっていくと、ひとつだけ扉が開いている病室があった。その病室は 4人部屋で、ひとつだけ患者の名前がある。病室の入口に立って中を覗くと、右奥のベッドに、医療機器に繋がれた患者がいた。
暗がりで暫くその患者を見ていたが、様々な思いが頭を過った。この人はいつからここにいるのか? この状態がいつまで続くのか?
廊下に埃が溜まっているような病棟だ。面会に来る人はいないだろう。1日に 1回でも、看護師はこの病室に来ているのだろうか? 医療機器が警告音を発したとして、ナースステーションも稼働していないこの病棟に、この病室に、果たして看護師は駆け付けて来るのか? そもそも、このような場所にこの人が置かれていることを知っている人は、どのくらいいるのか?
打ち捨てられた病棟で、忘れ去られた人を見た。何とも言えない気分だった。できるだけ人が多い場所に戻ろうと 1階に下りた。エレベーターを出て、振り返ってフロアの案内板を見ると、あの場所は脳神経外科の病棟の一部だった。
僕がこれ迄目にした中で、最も恐ろしく、悲しく、寂しい光景だ。